ムラクナシタ.

長めのTwitter

5つめのリフレクト

結局動かせないよね,という.

 

Twitterと違って使う習慣がついていないものを動かすのは意思が必要だということを改めて感じた.(まあ,そのTwitterも諸事情でほとんど使ってないんだけど.)

 

自分の思考を可視化することに確かな価値は感じているんだけど,その価値を実感するのは数か月後であって現在地点じゃないのがなかなか厄介で,未来のために現在の僕が割を食うみたいな構造になっているのがよくある不条理で.

 

夏休みの宿題ですら最終日に持ち越す人間にとって,反省の色は黒より白に近いものなのは自明なので,意識的に書きだす癖をつけないといつまでも記憶を空に流し続けることになりそう.

 

”「見られる」ことを前提とする文章を書く”という意識さえ捨てれば無限に書けそうなものだけどね.

現にTwitterはその感覚なわけだし.

 

まあ畢竟,インプットが無ければアウトプットも成し得ないというありきたりな結論に落ち着くのかもしれない.

 

その点,これからはもしかしたら書くことが増えるのかも?

 

そうだといいな.